一昨日知り合った広島のお坊さんのうちの一人がとても良くして下さり、
今日高野山を少し案内して下さいました。
つくづく私は旅運が良いと思います。
そう、お礼参りに和歌山の高野山へ行ってきたのです。
つい最近まで高野山がどこにあるかすら知らなかったバチ当たりな私にすら
すばらしいと思える、綺麗で不思議な場所でした。
またケーブルカーで山に登るっていう経験もなかなか出来ないので良い記念です。
高野山に着いてから、見所、お寺も沢山あるらしいのですが
私はすぐにお大師様が今もそこにいらっしゃると言われる
奥の院に向かいました。そこで、今までのことを振り返りました。
日数にしてみればあっという間だったのに
本当に沢山のことを見てきたように思います。
奥の院の地下にお大師様の肖像が飾られているらしく
訪れてみましたが、ただの真っ白な絵、周りの人は
「ああ、見える、うっすらとだけど・・・」
などと言いながら去っていきます。
ここまで来て私には何も見えなかったらどうしようかと
呆然と突っ立って眺めていると、じわ〜っと浮かんで
私にもその姿を確認することが出来ました。
何年も飾られていて、だんだん薄くなってきてしまったらしいです。
そこでずっと立って、眺めていたら
勝手に涙が流れてきました。それは不思議な体験でした。
何というか本当に、生まれて初めて、自分自身と向き合えた旅だったと
心の底から実感しました。
何故四国遍路の旅に出たのか、本当にお大師様に
導かれて来たのかもなって、信じてしまいたくなるような
そんな気持ちにさせられました。
そしてこの旅は、私にとって生涯絶対に忘れることの出来ないものになりました。
沢山の時間とお金をかけたけれど、決して無駄ではありませんでした。
それだけの価値があったと自分で納得が出来ます。
いつの間にか暗記した般若心経を、いつか忘れるときが来ても
この旅のことを忘れることはありません。
記憶は薄れても、この旅で出会った人たち、経験した出来事
楽しかったりつらかったり、この期間に抱いた沢山の思いが
これからの私を支えてくれることは間違いありません。
「ありがとう」以外に感謝の言葉って何か無いのでしょうか。
私には思いつかないので、ありがとうを言います。
毎日サイトに来て下さったり、書き込みや
励ましのメールを下さった皆さん、ありがとう。
その一言に、どれだけ救われたかわかりません。
友達はあまり居ないと思っていたけれど、それは失礼すぎました。
私はちっともひとりなんかじゃ無かった。
山の中何度か倒れそうになり、その度に助けられました。
車やお菓子やお賽銭のお接待、優しい言葉をありがとうございました。
それから、わずか1ヶ月の間出会ったお遍路仲間へ、
一緒に歩いてくれて、ありがとう。
シップやテーピング、日焼け止めクリームをありがとう。
しんどい時、中だるみの時、叱らず一緒に居てくれて、ありがとう。
頑張って歩いて着いた宿でビールをおごってくれて、ありがとう。
一緒に感動出来て、良かった。
そしてずっとサイトの管理をしてくれた清水さん、ありがとう。
この旅で一番わかったのは、自分のことです。
ただ歩いていただけの日々ではありますが
この歩き方は、本当に私そのものでした。
まさに「人生は遍路なり」の言葉どおりで・・・それは
四国お遍路に限ったことでは無いとは思いますが
札所を目指し、歩く、この行為は日常をシンプルにしただけ。
ただ、シンプルになった分はっきりと見えてくるんだと思います。
これから先また、自分を見失いそうになること、たぶんあると思います。
激しく落ち込んで立ち直れそうもない出来事に直面することも、あるかもしれませ
ん。
でもただひとつ絶対なことは、自分が今まで歩いてきた道が変わることは無いという
ことです。
変えられない過去だからこそ、失わない。記憶が薄れても、それは
無くしてしまうわけではない。前に進む糧となって、自分の中に在り続ける気がしま
す。
発心の道場徳島に始まり、修行の道場高知、菩提の道場愛媛、
そして涅槃の道場香川。一国一国に、ありがとうございました。
最後にこの旅で印象に残った言葉をお借りして
至心合掌 一心敬礼